太宰府フィードバックループ
梅ヶ枝餅の蒸気を検知 → “甘味噌” モードで香りだけ再放出。結果、永久に餅を焼かなくて済む無限ループ-
福岡は太宰府の小高い坂道に、古びた小屋のような家がぽつんと建っていた。その家には老夫婦が住んでいた。夫は元教師で、妻は元和菓子職人。二人とももう足腰が弱り、餅を焼くのも億劫になっていたが、それでも朝になると、梅ヶ枝餅の話ばかりしていた。
「焼かなくても、あの香りだけでも嗅げたらねえ」 「そうだなあ、春が来たって気がするな」
そんなある日、一人の少年がその家を訪れるようになる。名前は蓮(れん)。近所の団地に母親と二人で住んでいる中学生だった。自由研究のテーマを探して、町の古いものに興味を持ち始めていたのだ。
「こんにちは、これ…空気清浄機です。ちょっと試してみてくれませんか?」
蓮は、自作の空気清浄機を抱えてやってきた。見た目は雑だったが、機械いじりが得意な蓮は、ただの清浄機に“甘味噌モード”というふざけた機能を追加していた。
老夫婦は首をかしげつつ、蓮に餅をひとつ焼かせた。蒸気が立ちのぼると、機械がピコンと鳴って蒸気を吸い込み始めた。
数分後。
――ふわり。
部屋中に「焼きたての梅ヶ枝餅の香り」が満ちた。
「あらまあ……」 「こりゃあ、春の匂いだな……」
老夫婦は目を閉じ、何度も深呼吸をした。
その日から、蓮は毎週その家を訪れた。餅を一つだけ焼き、機械に香りを覚えさせると、あとは無限ループで部屋中に「春の匂い」が広がり続けた。
やがて餅は焼かれなくなった。
焼かずとも、老夫婦の家には春が満ちていた。香りは思い出を呼び起こす。かつての梅の花見、屋台の賑わい、参道の石畳……。
そしてある年の春、老夫婦は静かに息を引き取った。
蓮が訪れたとき、二人は仲良く椅子に腰掛け、まるで眠るようだった。機械は今も、ゆるやかに「焼きたて梅ヶ枝餅」の香りを吐き出していた。
蓮は、その清浄機を抱えて家へ帰った。
その香りは、もはやただの匂いではなかった。 思い出でできた“春”だった。