りっちゃんが出て行ってから半年、僕はついに部屋を片付ける決心をした。
りっちゃんの服や使っていた食器などの日用品をはじめ、りっちゃんがUFOキャッチャーで三千円かけて取ったキョロちゃんのでかいぬいぐるみや、収集していたチロルチョコの包み、出掛けたときにノリで買ってまだ現像していなかった写ルンです、りっちゃんが好きだったアイドルのコンサートに付き合わされたときのペンライトなど、りっちゃんに関するものは部屋中に溢れていた。一緒に暮らした一年間の思い出一つ一つを、ゴミ袋の中に入れていく。
有名な片づけコンサルタントが「ときめくものは残し、ときめかないものは捨てる」というメソッドを提唱していたのを以前テレビで見たが、僕がやっているのはその真逆だ。ときめくものを選び取って捨ててゆく。
しかし、物を整理すると、心の整理もできるのだろう。りっちゃんがもう帰ってこないという現実を、物を一つ捨てるたび、少しずつ受け入れられる気がした。りっちゃんの断捨離、すなわち断捨りっちゃんは、順調に進んでいった。
最後に残ったのは扇風機だった。
しかしこれが、どうにも決心できない。それは傍から見れば何の変哲もない、スタイリッシュでもなければ特別な機能もない普通の扇風機なのだが、僕とりっちゃんにとっては特別なものだった。
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りっちゃんと知り合って間もないころ、初めて二人で出掛けることになって、主人公が死んだと見せかけて死んでいなかった映画を観たあと、解散したくなかった僕はどうにか引き留めようと、りっちゃんに「扇風機を選ぶのを手伝ってほしい」と頼んだ。どうせ一番安い扇風機を買うだけなので選ぶも手伝うもないのだが、そのときはそれしか思いつかなかった。
ダメ元だったが、りっちゃんは「面白そうだ」と言ってついてきた。何が面白そうだと思ったのかさっぱりわからなかったが、そのときにはもう、りっちゃんのことが好きになっていた。家電量販店に行き、並んでいる中で二番目に安い扇風機を買った。
りっちゃんと出会って、無風だった僕の人生に風が吹いた。りっちゃんといるだけで普通のことが普通以上に楽しくなった。りっちゃんは自由奔放な人だった。「なんでもかんでも、とにかくやってみたいんだよね。」とよく言っていた。職場と自宅を行き来するだけの生活を送ってきた僕とは正反対だった。
僕とりっちゃんは、この扇風機を神と呼んでいた。
ことの発端は、扇風機を買ったあの日、りっちゃんから「扇風機どう?」とメールがきたので、僕が「神です。」と返したことによる。真夏における扇風機の有難みを大袈裟に表現しただけのことだが、それが二人の中で流行った。
りっちゃんは「神に参拝したい」と言って、度々うちに遊びにくるようになった。そして、二礼二拍手一礼の最後にダチョウ倶楽部のヤーを足した独特の作法で参拝した。毎回必ずそれをやる。そのたび二人で爆笑した。
そのうち、りっちゃんは僕の部屋に居つくようになった。扇風機を神とするノリは飽きるどころか、むしろエスカレートした。最初はおふざけ100%だったのが、いつしか僕たちは割と本気で扇風機を神として崇めるようになっていた。
例えば、毎週金曜日には神前にチロルチョコを供えることになっていた。僕が帰りに買ってくると言ったのに忘れてしまったとき、りっちゃんは本気で怒って泣いた。
僕が会社のパソコンを壊したときには、「データが復元しますように」と二人で何度も神の前で祈った。そしたら数日後、ちゃんと復元して業者から戻ってきたので、僕たちの信心は更に深いものとなった。
夏が終わって、扇風機が必要ない季節になっても、神は神としてずっと部屋にあり続けた。
「探さないでください。」
次の夏がやってきて、今年一番の猛暑というニュースが流れた日。りっちゃんはメモだけ残してあっさり居なくなった。
僕は最初、りっちゃんの悪ふざけだと思った。「探さないでください、っていう置手紙を一度書いてみたかったんだよね」などと言いながらすぐ帰ってくるに違いない。そう高を括っていた。りっちゃんは一週間経っても戻らなかったが、それでもまだ僕は、「一度行方不明になってみたかったんだよね」などと言いながら帰ってくると信じて止まなかった。しかし、明日には、明日には、というのがずっと続いて、半年。
今はもうさすがにわかっている。僕は一人になったのだ。
りっちゃんは奔放で、僕は堅実で、二人はちょうどいい相性なのだと思っていた。りっちゃんが剣なら僕は盾で、りっちゃんがビットコインなら僕はゆうちょの定期預金で、それでいいと思っていた。でも、りっちゃんにとって僕は物足りなかったのかもしれない。
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一年間ずっと神として崇めていたこの扇風機を、どうやって処分すべきだろう。雑な捨て方をしたら、罰が当たる気がする。どんど焼きにでも出したいところだが、きっとこういうものは焼いてもらえないだろう。
変な宗教を残して出て行ったりっちゃんが恨めしい。そして世界中でこの宗教の信者が僕だけになってしまったことが、ものすごく寂しい。
考えた末、僕は扇風機を解体してみることにした。
鳥居もあの形をしているから神々しいが、分解すれば木材である。
まずは、ドライバーでネジというネジを外す。一見シンプルに思える扇風機であるが、意外とネジが多くて驚かされる。外側のカバーを外すと、三枚の羽が露わになった。カバー越しに見るより不思議と大きく感じる。モーターや基盤も外して、それぞれを可能な限り分解した。どれがどこについていた部品なのか、もうわからない。
神はもう神ではなくなった。バラバラの、ただの部品。これなら罪悪感なく捨てられそうだ。
そう思った途端、謎の感情が込み上げてきた。それは、もう一回組み立てられるか試してみたい、試さなくては、という強迫観念に近いものだった。せっかく解体したのに、どうしてまた組み立てるのか。意味が分からない。でも、もしここにりっちゃんがいたら、「ねえこれ、もう一回組み立てられるかやってみようよ」とか言いそうな気がする。
僕は床に散らばったネジをかき集めて、バラバラになった神の復元に取り掛かった。何をやっているんだろう。自分でもよくわからないが、やらずにはいられなかった。さっき解体してきた手順を思い返し、手を油でべとべとにしながら、モーターを元通りにして、どうしてもっとりっちゃんの本心を知ろうとしなかったんだろう、と思った。基盤をはめ込み、なんで僕はいつもこんな受け身でしか生きられないんだろう、と思った。ネジを締める、どうして、ネジを締める、なんで、ネジを締める、戻ってきてほしい。
なんとか組み立てられた、と思ったが、よく見るとネジ穴が余っている。ネジが一本足りない。辺りを探す。這いつくばって探す。しかし、どこにもない。
一度バラけたら、戻らないものもある。
絶望がぶり返した僕は、ネジの一本足りない扇風機をどうすることもできず、押し入れに隠すように仕舞った。
りっちゃんが突然帰ってきたのは、それからまた半年ほど経ったころだった。
後編に続く↓
扇風機の聖地。そして風が戻る。
https://www.rentalism.jp/note/339/
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