いつの間にか、書斎に扇風機が置かれていた。妻が押し入れから出しておいてくれたのだろう。年季の入ったこの扇風機を見ると、今年も夏が来たのだなと実感する。
俺が書斎として使っているこの部屋にはエアコンが設置されていない。在宅ワークで書斎に籠って仕事をしているため、夏は扇風機が必要不可欠だ。
しかしながら、この扇風機、実はもう壊れている。去年の夏の終わり頃、ボタンを押しても動かなくなってしまった。結婚するときに実家から持ってきた、俺が中学生くらいからずっと使っている代物なので無理もない。むしろ今まで使えていたのが不思議なくらいだ。本格的な夏がやってくる前に、今年は新しいものを買わなくてはならない。
せっかく出してくれた妻には悪いが、俺は扇風機を外のごみ置き場へ持って行くことにした。ついでに新しい扇風機を買いに行こう。そう思って扇風機の背中にある取っ手の部分を持とうとしたが、なぜか持てない。空を掴むように、右手がすり抜ける。なんだ、これは。動揺していると、どこからか声がした。
「捨てないで。」
部屋の中を見回すが、誰もいない。
「ここだよ、ここ。」
また聞こえる。返事をしていいものか迷ったが、俺は恐る恐る、「だ、誰ですか?」と聞いてみた。
「私だよ、扇風機だよ。」
確かに、その声は紛れもなく扇風機から発されていた。俺は腰が抜けて、思わずその場にへたり込む。
「そんなに驚かなくてもいいのに。長い付き合いじゃない。」
「扇風機が喋ってる……。」
「ねえ君、酷いよ。私を捨てるなんて!」
捨てようとしたことについて、どうやらご立腹らしい。俺は扇風機が喋っていることにまだ半信半疑だったが、とりあえず、「それは、ごめん」と謝罪した。
「でも、もう壊れてるじゃないか。ボタンを押しても動かない。」
「そうだとしてもだよ、あまりに冷たいじゃないですか。私たち、もうずっと一緒に夏を過ごしてきたのに。忘れちゃったの? 毎年毎年夏休みの宿題を最終日に半泣きでやる君の背中に風を送ってあげたのは誰?」
「そんなこと言われたって、もう動かないのに置いておくわけにいかないよ。今日だってもう暑いのに。」
「涼しくなればいいんでしょ? それなら私、まだ使いようあると思うよ。 怪談なんてどう?」
「怪談?」
「ほら、怖い話を聞くと涼しくなるって言うでしょ。プロペラ回す代わりに、怪談話してあげる。ねえ、それならいい?」
「はあ。」
突拍子もないことばかりで、俺はなんだかもう反論する気力もなくなり、とりあえず扇風機の怪談とやらに耳を傾けることにした。
扇風機が、低い調子で語り出す。
「とある男の身に起こった話なんですけどね、深夜、男のスマートフォンに通知が来たらしいんです。『私いま、駅にいるの』。そのまま様子を見ていると、さらに、『私いま、銀行の前にいるの』、『私いま、ローソンの前にいるの』、男のマンションにどんどん近づいてくるではありませんか。そして、『私いま、マンションの前にいるの』、ついには、『私いま、玄関の前にいるの』。男は、怖いなあ怖いなあと思いながら、思い切って玄関ドアを開けました。そこには、誰もいませんでした。仕方なくドアを閉めようとしたその時! 出たんです。ドアのすぐ横に、白い……。」
「白い……?」
「ビニール袋に入ったカレーライスが。」
俺は一気に脱力した。何かと思えば。
「それ、昨日の俺じゃん。出たも何も、ウーバーイーツの置き配だよ。」
呆れて言うと、扇風機は浮かれた様子で、「どう? 涼しくなった?」と聞いてくる。
「なるわけないだろ。なんだよ、それは。」
「まだあるよ。」
「もういいって。」
お構いなしに、扇風機はまた語り出す。
後編はこちら↓
扇風機の怪談 夏の思い出
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