レンタルのローム のノート

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乾燥ともやもや

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朝7時15分、私はいつものように、まだ誰も停めていない駐輪場の一番端に自転車を停め、ラケットを肩にかけて校舎の横にある脇道へと向かった。小動物専用かと思うほどの幅で申し訳程度にコンクリート舗装されているその脇道は、テニスコートへの近道で、ちょうど1年1組、私の教室の真横を通っている。

この脇道を通ると、毎朝必ず目撃するものがある。葛西さんが教室の加湿器の水を補充している姿だ。それは黒板の右側に置かれた加湿器から給水タンクを取り外している姿であったり、教室を出てすぐの水飲み場で水を入れている後ろ姿だったり、重いタンクを加湿器に戻している姿だったりする。葛西さんの姿を目撃することは、私の毎朝の日課になっている。

 
葛西さんは山を二つ越えたところにある田舎町から電車とバスを乗り継いでこの高校に通っている。「本数が少なくて、乗り換えの関係でどうしても一時間半前に着いちゃうんだ」と、前に一度だけ話したときに言っていた。

一学期のはじめ、「ランプが点いてたら気づいた人が水入れてなー」と先生は言っていたが、葛西さんが毎朝やっているので、日中に加湿器の給水ランプが点灯したことはない。そのことを誰も疑問に思っていないようだ。おそらく、それが葛西さんのおかげだと知っているのは、朝練の集合時間より毎朝30分早く来て一人サーブ練習をしている私だけ。葛西さんが自ら誰かにそのことを話すとは考えにくい。葛西さんには、友達がいないからだ。

 
葛西さんと一度だけ話したのは、入学式の日だった。入学オリエンテーションで教室から体育館に移動するとき、「一緒に行かない?」と話しかけてきたのが葛西さんだった。緊張を帯びた表情で、声も小さくて、おとなしそうな子だな、と思った。同じ中学出身の人がおらず私も一人だったので、有り難かった。

体育館まで歩きながら、葛西さんはいろんなことを話してくれた。田舎町から電車とバスを乗り継いで登校していること。一時間半も前に教室に着いてしまうこと。中学は徒歩5分だったのに、これからは毎朝5時起きで寝坊しないか不安なこと。でも市内の高校に通えて嬉しいこと。学校帰りにミスドに寄り道するのがずっと夢だったこと。住んでいるところが田舎すぎて、年賀状に「〇〇町 葛西真子」とだけ書けば届くこと。 

葛西さんがたくさん話すので、私はほとんど相槌を打つだけで、あっという間に体育館に着いてしまった。

 
そのあと、私が中学でテニス部だったことを知った子たちが数名で話しかけてきて、一緒に部活見学に行くことになった。移動教室のときもその子たちと行動した。葛西さんがこちらを見ている気がしたが、気付かないふりをした。グループに引き入れたり、間を取り持ったりするのは面倒だなと思った。必要とあらばまた葛西さんから話しかけてくるだろうと思った。

私はそのままテニス部の子たちと毎日つるむようになった。葛西さんにもそのうち別の友達ができるだろう。そう思っていたが、結局、葛西さんは今もずっと一人でいる。
葛西さんはあの日、私に話しかけたことで勇気を使い果たしてしまったのかもしれない。

 
クラスに友達のいない葛西さんが、加湿器の水を補充し続けるのはなぜなのだろう。真面目さゆえか、献身か。いや、毎朝窓の外から見える葛西さんの姿には、もっと強い意地のようなものを感じる。私が毎朝みんなより30分早く来てサーブ練習しているのと、同じような意地を。だから私は毎朝、意識的に葛西さんを視界に入れる。葛西さんの意地を、目に焼き付ける。

 
ある日の授業中、先生が、「おい、葛西!あくびしてんなよー!」と葛西さんを注意した。本気の注意ではなく、ちょっと茶化すような注意だった。これが他の誰かなら、確実にひと笑い起きている場面である。でも、誰も笑わなかった。葛西さんは顔を真っ赤にして俯いた。

私は腹が立った。葛西さんは山二つ超えたところから毎朝5時起きで通学していて、それでも授業中に居眠りしていたことなんて一度たりともない。あくび一つが何だっていうんだ。そうやってインノケンティウス3世だとかボニファティウス8世だとか唱えている先生のその喉を潤しているのは、葛西さんが入れてくれた水なのに。

しかし、こんなに腹が立っても、私は葛西さんに何もしてあげられなかった。クラスの人間関係が確定している中で、私が葛西さんに話しかけることは明らかにイレギュラーだ。それでも話しかければいいのかもしれない。でも、話しかけなきゃいけないと思って話しかけていることがバレるような気がして、怖かった。

 
次の日の朝も、サボることなく葛西さんは加湿器に水を入れていた。

 
私はサーブを打ち込みながら考えた。入学式の日、葛西さんは勇気を出して私に話しかけてくれたのに、私は自らの怠慢でその勇気を無碍にした。あのあと、私から葛西さんに話しかけていたら、普通に友達になれていたのだろうか。学校帰り一緒にミスドへ行ったり、町名と名前だけ書いた年賀状を送ったりしたのだろうか。「あくびしてんなよー」なんて先生の物真似をしながら肩を叩いたりできたのだろうか。

 

 
 
後編はこちら↓
透明な潤い
https://www.rentalism.jp/note/580/

 
加湿器のレンタルはこちら
https://www.rentalism-osaka.com/uruoi/

 

執筆者:ナガセローム(長瀬) Twitter note

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