「あの、この車、3年前に私がここで売った車だと思うんですけど。」
「ああ、そうでしたか。それはありがとうございました。年式が古い割にまだ綺麗だったんで、うちで使わせてもらってるんですよ。売買のほかに修理もやってますんで、代車としてお客さんに貸したり、レンタカーもやってますし。」
それを聞いて、胸が高鳴った。
「この車、今日一日レンタルできませんか?」
前編はこちら↓
愛車との再会
https://www.rentalism.jp/note/663/
久しぶりの運転は少し不安だったが、元々乗っていた車なので、すぐに勝手を思い出した。シートの肌触り、エンジン音、ブレーキの感覚。すべてが懐かしい。ダッシュボードには小さくて深い傷がひとつ。この傷のことも、私はよく知っている。
急に大雨が降った日、付き合っていた人から職場に迎えにきてほしいと連絡があった。車を走らせ、会社の前に着いて待っていると、急にトランクが開いた。振り向くと、その人は「シート倒すね!」と言い、マウンテンバイクを後ろから積み始めた。
「ちょっと何やってんの!」
「大丈夫!タイヤちゃんと拭いたから!」
「軽なんだから自転車なんて積めないよ!」
「工夫すればいけるって!」
マウンテンバイクは運転席と助手席の間から前輪がはみ出す形で、どうにか乗った。
「ほら、乗ったでしょ!」
その人は満足そうに笑っていた。私はため息を噛み殺して、家まで送った。バイクを下ろすとき、ダッシュボードに傷がついているのを見つけた。
「傷がついた。」
私がそう訴えると彼は謝ったが、「でも内側じゃん。見えないから大丈夫!」と言った。何かが切れる音がして、私はその場で別れを切り出した。それまでもいろいろと腹の立つことがあったが、まあいいかと流してきた。車に傷をつけられたことが決め手になるとは、自分でも意外だった。
運転しているとき、景色はいつも内側と共にある。私には外からどう見えるかより、その景色が大切だった。私の内側は、あの人には見えていなかった。
海沿いの道を走った。きれいな砂浜があるわけもないつまらない海だが、運転しながら見える海はキラキラ輝いていた。
「もっといろんなところに行けばよかったなあ。」
せっかく車があったのに、私は勝手に自分の行動範囲を狭めていた。行こうと思えばいける、なんて悠長なこと言ってないで、自由にどこでも行けばよかったのだ。勿体無いことをした。
私は東京でも同じパターンに陥っている。もっとなんでもやれるはずなのに、なかなか新しいことができない。仕事も、別にあの会社じゃなくたっていいのに、なんとなく続けている。場所を変えたところで、自分が変わらなきゃ意味がないのだ。
私は海沿いをずっと走り続けて、お腹が空いてきたころ、海鮮丼の看板を見つけて店に入った。中途半端な時間だったせいか、もう海鮮丼は売り切れていて、代わりに親子丼を食べた。コンビニの親子丼より数十倍おいしくて、なんだか泣きそうになった。
「どうでした? 久しぶりに乗ってみて。」
中古車販売店に戻ると、さっきの男性店員が笑顔で迎えてくれた。
「この車、すごく気に入ってたんです。だから、もう一度乗れてよかった。」
一瞬、この車をまた買い取れないだろうか、という考えが浮かんだ。でも、やめておいた。車に愛着はあるが、後戻りはしたくない。もう一度、ここでお別れだ。
私は東京行きの電車に乗り込んだ。車窓から見える景色はもう真っ暗になっていた。
一息ついてから、スマホの検索欄に文字を入力した。
「映画業界 転職」
嫌なことから逃げるためではなく、行きたいから行く。行けるところまで行く。私の人生を、もっと自由に走ってみせる。
<完>
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編集後記:
人から人へ、場所から場所へ、移り行くたびに物には思い出が積み重なっていく。
レンタル製品にも、いろんな人の一瞬一瞬が宿っている。
そんなふうに思うと、もっともっと大切にしようという気持ちになれますね。
レンタルのロームはこちら
https://www.roumu-p.com/